ご昭和ください

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昭和の寝台列車PART2

2021年04月04日

昭和46年生まれ49歳、高橋裕です。
 
さて、今週のテーマは「昭和の寝台列車PART2」で30分。
 
 
1番の思い出は父の仕事の転勤で下関を発つ時、出発のホームには溢れんばかりの会社関係の方々、親戚一同も集まり、発車ベルと同時に万歳三唱、「バンザ~イ、バンザ~イ、バンザ~イ」の怒号がホームに響き渡たり盛大に見送られたこと。大昔、昭和のモノクロの思い出です。
何色もの紙テープの端を持ち、バンザ~イバンザ~イの万歳三唱とセットになって賑々しく見送られる光景も記憶にあります。
 
昭和43年3月20日に結婚式を挙げ、翌日からの新婚旅行で徳山から大阪へ寝台車で行きました。中断と上段を夫が選んだ理由は上段の方が私にとって安全だと言いましたが…上段に上がる時は夫が手助けしてくれてやっと横になることができました。
列車が止まる度にガタンとなり広島まで寝付けなかったのですが、前日までの疲れからか夜明けまでぐっすり眠りました。6泊7日で紀伊半島をぐるりとして名古屋から帰路につく旅でした。
徳山駅から他に新婚旅行らしきカップルの方が3組いらっしゃいました。夫28歳、私19歳、53年前、人生で初の寝台車でした。
 
1998年、新婚旅行で伊賀上野、山梨、埼玉、東京へ行きました。
東京ドームが出来た年で、セ・リーグはもちろんチケットが取れず、パ・リーグの試合、日ハムvs近鉄の試合を観戦し、「寝台特急・いずも」に乗って、実家の境港まで帰りました。
ちなみに東京では、観覧葉書が当選して「笑っていいとも!」を見学し、今はちびまる子ちゃんの声でお馴染みのTARAKOさんのライブにも行きました。
 
私にとって、寝台列車といえば、瀬戸内海の「朝凪」がすぐに思い浮かびます。
20代の頃、半人前の「鉄っちゃん」だった私は、帰省には新幹線よりも「あさかぜ」や「はやぶさ」といった寝台列車を利用していました。
お盆休みの始まる土曜日(半ドンでした)、新橋で勤めを終えて東京駅から寝台列車に乗り込むと、朝方、山陽本線、進行方向左側の大窓に現れる瀬戸内海は、決まってまるで止まった絵のように、島影と全く波が無く「ベッーター」とした「朝凪」でした。「カタン、カタン」の連結音とともに神代や富海の付近で、この風景が現れると「田舎に帰ってきた」「もうすぐ小郡じゃ」と思えたのです。
 
初めて寝台車に乗ったのは高校3年生。私は農業高校に通っていて、全国の農業高校生が集う全国大会(測量競技、家畜審査競技、農業鑑定協議、意見発表等)に出場すべく岩手県の花巻に寝台車で、上野までB寝台の上段に乗りました。
消灯のアナウンスで暗くなり、初めてのこととはいえ心臓バクバク。やはりなかなか寝られませんでしたね。また、帰りの盛岡からは、上中下の3段のこれまた上側でして、忍者屋敷の「釣り天井」のごとく狭苦しく、他のお客さんのいびきがきつかったのを覚えています。
 
 
さて、次週、4/11のテーマは「昭和の中華料理」で行きましょう。
昭和の頃、お店で、家で、どんな中華を食べていましたか?僕は幼稚園の頃の記憶、「♪リンリンランラン留園(りゅうえん)」の留園に行った薄い記憶が・・・。
家の出前は、味の松華。つゆがこぼれない出前機のバイクで持ってきてくれてました~。
 
 
さて、4月から番組開始10周年に突入します。
そこで来月、30分の放送を1時間に広げて色濃く、ご昭和を展開していこうと考えています。
 
テーマは「昭和の1泊2日」。
 
ながびくコロナ禍で旅行になかなか行けない。ならば、想像妄想もいいけど、昭和の頃の楽しかった、密だった、旅行の思い出を共有して、タイムスリップしてみましょう。そして、コロナ禍が収束したあかつきには、昭和の頃のように思いっきり旅しよう。
 
そんなこんなで、
「昭和の1泊2日」にまつわる思い出・ハプニング・メッセージ・特に写真を大募集!団体旅行・家族旅行・温泉・新婚旅行・修学旅行・海外旅行・駅弁・アバンチュールetc.
鳥取砂丘のラクダと一緒に撮った写真などもお待ちしております。。


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