■「100年後に残る写真集を」 川島町の風景を撮り続ける料理人【徳島】(徳島県)
自分の生まれ育ったふるさとの風景は、記憶としても、そして記録としても「いつまでも美しく残っていって欲しい」
それは、ふるさとを愛する人であれば、きっと誰もが思うはずです。
ふるさとの姿を後世に残すために、写真集を出版した一人のアマチュアカメラマンを取材しました。
2025年3月に出版された1冊の写真集、「風紡ぐ、川島町の軌跡」。
160ページの写真集には、吉野川市川島町の絶景を切り取った写真が数多く収められています。
この写真集を出したのは、川島町で日本料理店を営みながら写真家としても活動する、阿部和剛さんです。
(アマチュア写真家・阿部和剛さん)
「今まで美しい写真を撮りためてきたんです」
「今度は未来に何か残していく写真集を作りたいというので、今回の写真集があるのですが」
「今回の写真集は、川島町の100年前の写真と、今の写真の撮り比べを主にやっています」
阿部さんがそう話す今回の写真集。
町内の同じ場所の「現在」と「過去」の写真を並べて掲載し、景色が様変わりしている様子が、見比べられるようになっています。
そこには阿部さんの、ある思いがありました。
(阿部和剛さん)
「東日本大震災なんですよ。テレビでみると、家で大切にしてあった写真が泥水でぐちゃぐちゃになったり、なくなって」
「地域のカメラマンが、保存というか、未来に繋げていく活動をしていかないといけないな、というのが始まりです」
そんな思いから阿部さんは、写真のデータ化の必要性を感じ、古い写真の保存に着手。
町内の古民家などをまわり、10年以上かけて2000枚以上の写真を集めました。
阿部さんに、撮り比べで撮影した場所を案内してもらい、その思いを聞きました。
(アマチュア写真家・阿部和剛さん)
「ここは有名な学駅ですよ」
「この学駅というのは、結構名前は通っているので(写真集に)入れておかなければと」
(記者)
「1960年の写真ですか」
(アマチュア写真家・阿部和剛さん)
「この上ですか、無いですね」
「撮り比べで見た感じが違いますけど、それ以外は一緒です」
阿部さんの撮る写真、実はカメラにある特徴があるんです。
(阿部和剛さん)
「カメラをレゴで作ったんです。木のカメラでこんなのあったでしょう」
「木のカメラの部分を、レゴブロックで作ってます」
世界中で猛威をふるったコロナウィルスが、阿部さんの本業にも影響を与え、売上は激減。
大切にしてきたカメラの多くを手放しました。
その時、子供が遊んでいたレゴブロックを見て、カメラが作れるのじゃないかと考え、3カ月かけてカメラを作りました。
次に訪れたのは、現在は公民館が建つこの場所、明治時代に建てられた川島小学校の跡地です。
この場所を写真集に選んだのは、小学校が建てられた経緯を後世に伝えていくためだと、阿部さんは話します。
(阿部和剛さん)
「昔なので小学校(を建てるのに)たくさんのお金がかかった。そのお金を寄付した人がいて」
「一個人が地域のために多額の寄附をして、小学校を作ることはなかなかないこと」
「そういう人たちがいることを知ったうえで、川島町で生きていくというのが大切なこと」
最後に訪れたのは、阿部さんが写真集の中で一番の思い入れを持つ場所、天野病院跡地です。
(阿部和剛さん)
「徳島でも有名な、心霊スポットの天野病院というのがあって、ここが天野病院なんです」
「天野さんはすごく立派なお医者さんで、お金のない人からはお金をもらわず治療したり」
「第二次世界大戦の時に、広島や長崎に原爆が落とされた時は、いち早く軍医として現地に向かい治療した」
「そういう歴史を知ったうえで、この場所からもっと素晴らしい人が、今後生まれてくれたらなと思います」
「風紡ぐ、川島町の軌跡」。
阿部さんは、写真集を通じて子どもたちに、自分の町がどんなところか伝えることのできる、自分の町に誇りを持つ大人になって欲しいと願います。
(阿部和剛さん)
「今、撮り比べをして、今後この写真集を100年後に伝えていきたい」
「100年後にいいねと言ってもらえるような写真を、これからも撮り続けていきたいと思います」
(05/27 18:20 四国放送)
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