■【ドキュメント】54年ぶりに新人が現職に勝利 秋田市長選挙の裏側 対照的な選挙戦 家族が語る意外な素顔も…(秋田県)
54年ぶりに新人候補が現職に勝利した選挙の、舞台裏についての特集です。
4万6000票あまりの大差で現職の穂積志氏を破って、沼谷純氏が新たなリーダーに選ばれた、秋田市長選挙。
両者は対照的な選挙戦を繰り広げました。
来週から本格的に市政運営を担う沼谷氏ですが、課題も待ち受けています。
■54年ぶりに現職に勝利 沼谷純氏の選挙戦
4年前の2021年。
この年の初め、秋田市・外旭川地区の卸売市場で行われていた初せり式の場に、穂積志氏、沼谷純氏がそろって出席していました。
この3か月後に行われた市長選挙では、穂積氏の後塵を拝した沼谷氏。
雪辱を期して臨んだ今回の選挙は、4万6000票あまりの差をつけ、リベンジを果たしました。
「負ければ政治の世界から引退する」。
背水の陣で臨んだ選挙戦を力強く支えたのは、親しい知人たちや、家族です。
古すぎて伝わらないモノマネが父親の特技だと明かしたのは、沼谷氏の長男で、中学1年生の統さんです。
支持者への挨拶や、報道機関からの取材対応を終え、一段落した沼谷氏は、自分をよく知る息子からの“取材”にも応じました。
「聞きたいことは、この選挙をやってみて1週間どうだったか」
「どうだったか?大変だったよ。走るんだよ。やっぱり握手、遠いところにいると走って握手するし。まずはあれだな、18歳になって、今度は、まずは選挙権を持つことだな。その時までにいろいろ勉強して、いい有権者にならなきゃな」
「なるほど。けど、お父さんがその時まだ政治家であるか分からない!」
「おっと!厳しい〜そうね、まぁ、頑張ります」
「そこはせめて本当に頑張ってほしいんだけど」
「そうだな、頑張るよ。お父さんも頑張るから、お前も頑張れよ…なんじゃこりゃ」
52歳の沼谷氏は、自身と年齢が近い世代や、上の世代だけでなく、若い有権者にも訴えを浸透させるための活動に力を注ぎました。
動画共有アプリ TikTokで沼谷氏を知って、投票を決めたという男性も。
「19歳です!初めて投票します!」
地道な遊説活動も実を結びます。
投票日前日の夜まで、粘り強く訴えを続けました。
無党派層への支持を広げ、投票率を上げることで、政党や団体が結束して臨む組織戦に対抗しようと考えた沼谷氏。
支持を広げる活動だけでなく、分厚い組織と戦うためにも“粘り強さ”が必要でした。
政治生活が長く、選挙戦にも長けた相手候補への批判票の取り込みも狙いました。
投票率は、16年ぶりの6割台となる、60.39%。
54年ぶりに現職が新人を破る、歴史的な選挙になりました。
県庁所在地、県都の新たなかじ取り役を担う沼谷氏が、当選確実となった直後、選挙事務所には、新たなリーダーとなってまだ7か月あまりのこの人が、祝福に駆け付けていました。
大館市 石田健佑 市長
「ぜひですね、我々も首都圏から若い人が帰って来る仕組みをつくりたい」
沼谷 氏
「政策的にもコラボしましょう」
石田 市長
「連携させてください」
石田 市長
「県民の皆さんは、そういうふうな新しい風というか、若さとか行動力(を求めた)。秋田県、いま、人口減少、少子高齢化が進んでいますけども、これ、逆の意味でとらえると、若い人がこうやって行動力を持って頑張って、そこに先輩たちの知恵とか経験、いろんな財産が組み合わされば、間違いなくこの少子高齢化を強みに変えていける」
■新スタジアムに外旭川まちづくり…穂積志氏の選挙戦
穂積氏は、選挙期間中の1週間、現職でありながら、平日、週末を問わず、多くの時間を遊説活動に費やしました。
投票日前日夜の最後の訴えでは、過去に選挙に敗れた経験を語り、支持を集めようと考えた穂積氏。
穂積志 氏
「私は2回、選挙で涙をのんでおります」
「残念ながら2288票足りずに涙をのみました。今回も厳しい!厳しい!選挙でございます」
穂積氏が、約2000票の差で敗れたと話したのは、20年あまり前の選挙です。
穂積志 氏(2001年)
「誰のためにサービスをするのか、それは市民があっての市政ですから、市民のため。この原点に、とにかくいまの市役所を変えてもらわなきゃいけない」
新人5人が争った、2001年の秋田市長選挙。
穂積志 氏
「みんなの意見を、僕も政治家としていろいろ歩いてきましたから、行政マンじゃないんですけどね、政治家として皆さんの意見をよく聞いてできるという、今までのスタンス変わらずにやらせていただければいいなと」
市政のかじ取り役を担うことへの強い意欲を語っていた穂積氏でしたが、この時は、間もなく知事を退任する佐竹氏に及ばず、次点でした。
自民党や公明党の県内の支部に加え、経済団体や労働組合などと連携した、“組織戦”を展開した穂積氏は、選挙戦最終日も、ある団体の会合に出席し、支持を訴えていました。
穂積志 氏
「穂積志が負ければ、スタジアムの新設はできません、結果!Jリーグからのライセンスももらえません!そうなれば、ブラウブリッツ秋田にいい選手は来ません!でしょ!?勝ったってJ1に上がれないってことですから」
秋田放送が独自に入手したこの映像は、秋田市サッカー協会の会合に穂積氏が訪れ、その場で挨拶した際の様子です。
穂積志 氏
「どうか約束してくれますか、穂積志に!本当ですよ!頼りにしてますよ!穂積志最後のお願いに参ります!これをやらなければ、死んでも死にきれないと言った穂積、ほんとに死にきれないよ!な?頼むよ、殺さないでくれ!」
必死の訴えを続けた穂積氏でしたが、沼谷氏とは4万6000票あまりの差がつき、4期16年で、市長の座を明け渡すことになりました。
記者
「新しいスタジアム、外旭川のまちづくりが争点だったが、なぜ支持を得られなかった?」
穂積志 氏
「うーん、どうなんでしょうかね。あの、まぁ、説明不足だったのかなと思いますけどね」
選挙期間中に穂積氏の支援にあたった市議会議員からは、県知事選挙のムードが結果に影響したという声が聞かれました。
秋田市議会 細川信二 議員
「県知事選挙の影響もあったと思うんですけども、やはり変えるというか、若い世代に託して、新しい秋田市を、秋田県を見たいという思いが、皆さんの中であったんだなというのが、継続するよりも強かったんだなと思っていますね」
小木田喜美雄 議員
「若い方々の勢いっていうんですか。それともう一つは多選に対しての、体制側の批判っていうんですか、そういうのはやっぱりあったのかなと考えています」
市議会議員たちと、どのような関係を築けるかは、沼谷氏にとって、市政運営を円滑に進めるうえでの大きな課題です。
秋田市の市議会議員は36人で、政策への考え方が近い議員同士でつくるグループ「会派」は7つあります。
今回の選挙では、議員全体の7割あまりにあたる27人が、穂積氏の選挙を支援しました。
7つのうち4つの会派は、所属する議員全員が、穂積氏を後押しする立場でした。
穂積氏を応援した議員側は、沼谷氏による市政運営を慎重に見極めていく考えです。
細川信二 議員
「スタジアム問題とか外旭川の問題とか、これまでしっかり議論を重ねて進めている方向でもありますので、それを新たに検証し直すとなると、そこには予算がかかってくると思いますし、これまでの議論が無駄になってしまうこともあるので、そういった部分は、いくら公約で受かってきたからといって、それが皆さんのアンケートの結果もあったりしますけど、そこがすべてではないと思っていますので、その辺は、是々非々で、我々もしっかりと意見を述べて、これまでの経緯も踏まえて進めていければいいなと思ってます」
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議員たちとの論戦、市の職員たちとの意見交換を通じ、思い描く政策を実現したい沼谷氏。
その舞台となる市役所を、8日、選挙戦のあと、初めて訪れ、当選証書を受け取りました。
沼谷純 氏
「選挙が終わったわけですから、もうノーサイドということで、逆に僕の方から市議会の先生方にも、いろんなお話をご提案、ご相談をしながら、しっかり対話をして進めていくと、そういう気持ちでおります」
沼谷氏は、今月14日に、市長としての業務を本格的に始めます。
4期16年の穂積市政が取り組んできた政策、これから取り組もうとしていた様々な事業にどう向き合うのか。
その手腕が問われます。
(04/10 19:13 秋田放送)
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