■大船渡山林火災から半年 自宅再建へ心の支えは「家族」(岩手県)
特集は、大船渡市の山林火災で自宅を失った男性です。火災の発生から半年。「いつか自宅を再建する」と前を向く男性の心の支えは、大切な家族の存在でした。
大船渡市に住む袖野雄さんです。見つめていたのは地元の少年野球チームに所属する小学3年生の二男、陽向さんの姿。チームに加わったのはことし1月。グローブとバットは、その翌月に発生した山林火災から守り抜いた宝物です。
袖野さん
「服、ズボン、スパイクとか(山林火災で)全部無くなって、また買ったみたいな」「グローブとバットは持ってきていたので、『よく持ってきたな』と俺もほめたし」
半年前の2月26日に発生した大規模な山林火災。住宅を含む建物への被害は226棟に上りました。赤崎町の外口地区にあった自慢の我が家。母親と妻、4人の子どもあわせて7人で暮らしていました。しかし家族は全員無事でしたが、炎はすべてを焼き尽くしました。
火災の発生直後、知り合いの消防隊員から立ち入りが制限された自宅の被害を告げられましたが、信じることができませんでした。
袖野さん
「夢か現実かみたいな、どこだここみたいな感じですよね、正直…」「来て、やっぱり本当に無くなっていたんだ冗談じゃなく本当だったんだなって」
その後、家族で身を寄せたのは、市内の避難所。14年前の東日本大震災の時も市内の別の場所にあった自宅を津波で失った袖野さん。再び不自由な生活を余儀なくされました。
そして、火災の発生から2か月が過ぎた5月。赤崎町の公営住宅に移り、仮住まいでの生活をスタートさせました。
長男はこの春、自衛隊に入隊してふるさとを離れました。母は部屋が足りず、仮設住宅に移りました。
広さはかつての自宅の6分の1ほど。5人で生活するには満足のいく広さではありません。それでも大好きな家族との会話が増えました。
さらに…
かず美さんうっかり食器落とす「がっしゃーん、アハハ」
にぎやかになりました。
被災した建物の解体が進む7月、袖野さんはトラックの荷台に丹精込めて育てた自慢の野菜を積み込んでいました。
袖野さん
「(被災前は)夜8時ぐらいから涼しくなってからやったりしたんですね、(今は)ここに通うから、そんな訳にはいかないから暑いの我慢してやって…」
玉ねぎを育てているのは、前の自宅の近くにある畑。去年の秋、家族で種まきをしたものが、火災の被害を免れ、立派に育ちました。袖野さんが、この場所で農作業を続けるのには意味があります。
袖野さん
「個人的にはここに倉庫を建てて、家を建てて、前のようにここに戻ってきたいなっていうのが最終といったらあれですが、とりあえずの目標」
住み慣れた家を失ってもたくましく成長する我が子。火災の発生から半年、いまだ自宅再建の見通しは立っていません。それでも…
袖野さん
「大きくは変わらないが多少、少なからず成長してるのが見えたので良かった」「二男のこういうスポーツ少年団の活動とかに参加する時はやっぱり『頑張らなきゃな俺』も、みたいになりますね」
心の支えになっている大切な家族のために。しっかりと前を見据えます。
(08/27 18:27 テレビ岩手)
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