■【特集】復活!イカ王子(前)震災そして不漁 会社経営行き詰まりから復活までの歩み(岩手県)
特集です。震災後、「イカ王子」を名乗り、三陸の海の幸を全国に発信してきた宮古市の男性を密着取材しました。専務を務めた水産加工会社の経営が行き詰まり、活動を停止していましたが、26日月曜日、復活を宣言しました。復活までの1年半の歩みと厳しさを増す水産業の現状を、2回のシリーズでお伝えします。
26日「イカ王子のインスタ」より
「みなさん!大変ご無沙汰しております。イカ王子としてフリーで活動することを決めました!!また挑戦します!!応援よろしくお願いします!!」
会社が立ち行かなくなってからおよそ1年半。
債権者集会「本当に申し訳ございませんでした」
葛藤。
「共和水産と書いてあった…」
目の前の現実。そして希望。
苦しんだ末、仲間と再び立ち上がる道を選びました。
イカ王子・鈴木良太さん(43)
「一個も悔いがないように、いいことばかりではないと思うが、やっていきたい。ワクワクしている」
宮古市にあった水産加工会社「共和水産」。「イカ王子」こと、鈴木良太さんは、父親が作った会社で代表取締役専務を務めていました。
2011年、津波で会社が被災。傷ついた古里・宮古を水産業から復興させたいと考えたのが原点でした。
鈴木さん「三陸王国イカ王子と申します」
会社の主力商品、イカを冠した「イカ王子」を名乗り、三陸の海の幸を全国に発信してきました。
鈴木さん「こちらが今(注文して)2か月待ちのタラフライ」
大ヒット商品になったのが、タラフライ。6年連続水揚げ日本一だった宮古のマダラをPRしたいと作りました。会社の売り上げは順調に伸び、2022年には震災前の2.7倍に達しました。しかし、イカの記録的な不漁で2023年、経営に行き詰りました。
鈴木さん
「イカが全然獲れなくなって、値段がとんでもない値段、3倍、4倍になったときから苦しくて…」
宮古市はかつて、「日本一のサンマのまち」とも言われていましたが、震災後は不漁が続いています。水揚げ量は、2017年度、60年あまりの歴史の中で過去最低を記録。2023年度はさらに下回りました。秋サケ、サンマ、そしてスルメイカも水揚げが激減。温暖化の影響が懸念されています。
不漁に加え、震災前からの借金、津波の被害、電気代の上昇など、押し寄せる問題に対応しきれませんでした。事業を継続しようと、民事再生法の適用を申請しましたが、スポンサー探しは難航しました。
鈴木さん
「破産というのも選択の中に入れていかなければいけないと思っている」
しかし、スポンサー候補は会社の「将来性がない」と判断。「イカ王子」は崖っぷちに立たされました。販路は、ほぼなくなりました。それでも、できることを探しました。
去年3月。たくさんの人が列を作ったのは、会社の工場。自慢のタラフライを使ったフィッシュアンドチップスや水産加工品を直接販売するイベントを企画しました。
客「前乗り(前泊)して来た」
鈴木さん「やばい、前乗りって音楽のフェスかイカ王子くらいだよ。このまちへの波及効果」
4月、この日は、工場でマグロの解体ショーを行いながら製品を販売。おいしいものを楽しく提供したいという思いに変わりはありませんでした。
客「応援しているので。イカ王子のイベントには毎回来ている。きょうは(マグロの)目玉が当たった」
客「おいしそうなのがあったからよかった、中トロ。あと、すき昆布の詰め放題と」
客「大変だと思うが、地域活性化のために頑張ってもらいたい」
客「何かできることがあればと思って」
鈴木さん
「いやあ、やばいっすね、これもう。すごくうれしい」「いや、めっちゃ勇気づけられましたよ。こんなに応援されることってない」
しかし、簡単には進みません。支払いが滞る中、債権者集会では、「イカ王子」としての発信や活動に批判の声が上がりました。
鈴木さん
「まことに申し訳ございませんでした」
「(活動を)やらなければよかったのかなあって…思いました。でも、やらなければ、きっと今がない」
債権者への申し訳ない気持ち。少しでも状況を変えたいのになすすべがない。
心が壊れる寸前でした。
結局、関東の会社に事業を譲渡し、共和水産はことし1月に清算。会社はなくなりましたが、新しい経営陣のもと、工場は残り、操業を続けることになりました。
「共和水産と書いてある部分は少しずつ消している」
専務だった鈴木さんは契約社員として工場で働き続けました。「イカ王子」は活動を停止。発信はもちろん、あの王冠をかぶることもなくなりました。
活動を停止し、なぜ今復活したのか、後編は、家族の支えや厳しさを増す水産業の現状、タラフライのその後などについてお伝えします。
(05/28 18:43 テレビ岩手)
・TOP
Copyright(C)NNN(Nippon News Network)