■半世紀ぶり万博に青森ねぶたが!世界を魅了した“県民の誇り” 制作の裏にあった苦労とは…(青森県)
特集は、大阪・関西万博で開かれた「東北絆まつり」です。
青森ねぶたが登場し、世界中から訪れた多くの人を魅了しました。
★青森放送 長澤瑠璃子記者
「万博のまつり会場に来ました!少し見えづらいんですが、ねぶたの奥からお囃子とかけ声が聞こえてきました。世代を超えて、多くの人が熱狂しています」
先週13日から15日まで、大阪・関西万博では東日本大震災の鎮魂と復興を願う東北絆まつりが開催されました。
登場した青森ねぶた祭は、ひときわ大きな盛り上がりを見せました。
万博に登場したねぶたを制作したのは、ねぶた師の福士裕朗さんです。
青森港の開港400年を祝うこのねぶたには、これからも海の恵みを受けられるようにとの願いが込められています。
しかし、万博に持って行く事を前提に作られたこのねぶたには、いつもと違う苦労がありました。
★ねぶた師 福士裕朗さん
「大阪の万博に(トラックで)持って行くということで、分割するときに、こことここを分割したんだなと、見ているお客さん方に極力バレないような分割方法を考えることにちょっと苦労した」
迎えた搬出の日。
★ねぶた師 福士裕朗さん
「うちのトラックのナンバー…四苦八苦なんですよ」
高さ4m、幅9mのねぶたは11のパーツに分けられ、大阪へと向かいました。
しかし、万博の地で一行を待っていたのは、無情の雨でした。
パレード初日は中止に。
ステージのみでの披露となりましたが、そのあとも雨は一晩中、降り続きました。
翌朝…福士さんは傷を負ったねぶたの修復作業に追われていました。
★ねぶた師 福士裕朗さん
「(直すの大変でした?)全然」
「夢洲自体がすぐ海の横ですので、海風といいますかそういうものであおられて、最悪全部紙がもしかしたら剥がれ落ちてしまうんじゃないかなという風な予想もないわけでもなかった」
「うまく乗り切ったのかなという思いでいます」
実は1970年の大阪万博でも青森ねぶたが披露されていました。
制作したのは、第3代ねぶた名人の佐藤伝蔵さんです。
その圧倒的な迫力は、観光客増加の起爆剤になったとも言われています。
福士さんの強い願いが通じたのか、きのうは雨も上がり、およそ半世紀ぶりにねぶた祭のお囃子とハネトによるパレードがかないました。
★京都からのお客さん
「どうしてもこれ(ねぶた)が見たくって」
「雨が降っても楽しかった」
★兵庫からのお客さん
「迫力がすごくて感動しました」
★徳島からのお客さん
「いつになるか分からないんですが、ぜひ現地でみたいと思いました」
★大阪府内のお客さん
「楽しかった」
「らっせーらーらっせーら」
★ねぶた師 福士裕朗さん
「この万博会場にねぶたを持ってこられたというのが、私の中では大きな大きな記念になりました。これをやはり自分だけのもので終わるんじゃなく、さらなる青森ねぶたの発展に、なにか役に立てることがあれば、全力でやらせてもらいたいと思った万博でありました」
会場では東北の食や伝統工芸も人気を集め、青森、そして東北の魅力が世界に発信されました。
時代を超え、人々の想いを乗せて燃え上がる青森ねぶたの魂。
その灯は今、万博の地で世界を熱狂させる、県民の誇りそのものです。
次は本場、青森で!
(06/16 19:59 青森放送)
・TOP
Copyright(C)NNN(Nippon News Network)