■被災した人たちで生まれた交流 9年後の今も「このつながりは残っていく」(熊本県)
地震を経験した人の「つながり」を考えます。被災者同士で生まれた交流は今も続き、支えとなる一方で転換の時を迎えています。
一般社団法人「minori」の高木聡史さんです。益城町で被災した人の見守りを続けています。高木さんは地震の半年後、賃貸住宅などを借り上げた「みなし仮設」で暮らす人の支援を始めました。周りに知り合いがおらず孤立を深める人と向き合い、課題の解決に応じています。この日は、地震の翌年から訪問を続ける井上小百合さんのもとへ。
■高木聡史さん
「最近はどうですか、調子は」
■井上小百合さん
「調子はまあまあ。ここ1年は入院せずにできている」
井上さんは地震の後に難病(肺胞低換気症候群)が発覚し、人工呼吸器が必要な生活になりました。3年前には母親をがんで亡くし一人きりの生活に…
去年、別の病気(脊椎管狭窄症)が見つかり車いすが必要になったときは福祉の手続きを高木さんが親族代わりに行い、自立をサポートしました。
■井上小百合さん
「地震のときから比べたときにあの不安感とかがひどかったんですけどそれがだいぶおさまってきたりとか。助かりますよねいろいろと助けてもらって」
益城町の災害公営住宅は19の団地に分かれています。
馬水団地の自治会長、水野不二夫さん(76歳)。9年前の地震で自宅は全壊し、5年前から馬水団地で暮らしています。水野さんは、災害公営住宅の役割が変わってきていると感じています。
■水野不二夫さん
「ほとんど独り暮らしの方ですね。あとは一般公募ですね。一般公募の場合は割と、もしくは最近母子家庭の方がいらっしゃいます」
熊本地震の後つくられた「災害公営住宅」は、自宅の再建などで空室になった後被災した人以外も入居するようになりました。今では町内の671戸のうち約4分の1は地震と関係なく入居した人にかわりました。地震の直後と違い、生活パターンが異なる人が増える中高齢化も進み、団地の住民全員が顔を合わせることが難しくなっています。
■水野不二夫さん
「やっぱりお仕事があったり、いろんな家族構成でいろんな病人がおればなかなかそういうの(集まりに参加したり)できんだろうって思うんですけど、難しい課題ですね」
そんな中、つながりを守る取り組みが続いています。益城町安永の災害公営住宅で暮らす九郎丸あさ子さん(78歳)。仮設住宅にいた頃からの仲間を集め、食事の準備です。
■九郎丸あさ子さん
「とにかくみんなとやるのが大好きなんですよ話とかですね」
中には、minoriの高木さんも…災害公営住宅のコミュニティ支援で出会い九郎丸さんとつながりました。向かった先は団地の集会所。新たにできた友人も加わり、15人ほどが集まりました。
■安武稲男さん(77)
「今のきょうの顔を見てですね、皆さん本当に笑顔がでて本当に安心しております。もう9年ですね地震があってから。まあきょうは時間が許す限り皆さんで談笑されて、大いに昔話をしましょう」
同じ地震の経験をした人同士、大変なことも楽しさも共有できることがあります。
■吉村八千代さん(75)
「(テクノ仮設にいたとき)最初はもう部屋から出なかったって知らない人だから、徐々にほら、こういうイベントがありますよと言ったら、だんだん知ってたら楽しくなって、人と接するのが楽しくなって」
■渕上ミツ子さん(78)
「嬉しいですよ。ずっとみなさんつながって会ってますからほんとありがたいし、嬉しいですね」
■九郎丸あさ子さん
「あの人元気にしとるだとか考えようもんだけん、やっぱり顔をちょっと知って話しておかないと心配ったい。(このつながりは)大事にしとかなと思う」
■高木聡史さん
「災害公営住宅がやがて普通の公営住宅に変わっていくけど、このつながりは残っていくという形が僕らの熊本地震の経験を財産として残していく方法になるんじゃないかなと思っていま頑張っているところです」
熊本地震で生まれた「人のつながり」。この輪を守り、広げることがいま必要になっています。
(04/14 19:21 熊本県民テレビ)
・TOP
Copyright(C)NNN(Nippon News Network)