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戦争終了3か月前に飛び立った特攻隊 冥福祈る菩薩像の移設が全国からの支援で実現(熊本県)



戦後80年、「いまを戦前にさせない」。太平洋戦争が終わる3か月前、現在の熊本市から飛び立った特攻隊「義烈空挺隊」。去年11月、その隊員たちの冥福を祈った菩薩像に再び光を当てて新たな慰霊の場を作ろうという活動をお伝えしましたが、ついに菩薩像の移設が実現しました。


熊本市東区の浄圓寺にある、普賢菩薩像。特攻で命を落とした「義烈空挺隊」の慰霊のためつくられました。もともと違う場所に設置されていましたが、戦時中この一帯に健軍飛行場があったことからこの寺に移設され、5月24日、建碑式が行われました。


■浄圓寺・呼野淳住職
「あの菩薩像は亡くなられた方々やご家族、そしてハツさんの願いが形になった物です。私たちが大事にしていきたいと思っています」

普賢菩薩像には、若くして散った隊員たちを思うある女性の思いが込められています。


「義烈空挺隊」は、太平洋戦争末期のアメリカ軍に占領された沖縄の飛行場を攻撃するために編成された特別攻撃隊です。元々、落下傘部隊として選ばれた屈強な隊員は夜間の戦闘訓練に明け暮れ、出撃前の約2週間を健軍飛行場で過ごしたといわれています。


そんな隊員の疲れを癒したのが、当時、黒髪町にあった銭湯でした。銭湯の女主人、堤ハツさんは隊員たちにお茶を出し繕い物を引き受けました。隊員はハツさんの子どもらを可愛がり、子どもたちも良く懐いていたということです。


■ハツさんの三男・永田堅治さん(83)
「私が3歳の頃だった。それで記憶にはございませんけど母が言うには私をよく抱いて、空挺隊の人がよそにはないようなお菓子を持って来てくれて私に食べさせくれた。とても隊員の方に可愛がっていただいたと母が話してました」


しかし、別れは突然やってきました。1945年5月24日、義烈空挺隊は沖縄に向けて出撃しました。隊員14人ずつを乗せた12機のうち4機が故障のため引き返し、残る8機が突入。8機の搭乗員全員と引き返した機の1人の合わせて113人が命を落としました。

女主人のハツさんは、出撃前の最後の挨拶に訪れた隊員から受け取ったお金をもとに銭湯の敷地に菩薩像を建立。1979年に亡くなるまでお参りを欠かしませんでした。しかし銭湯は今から20年ほど前に廃業。菩薩像は次第に人々の記憶から忘れ去られようとしていました。


しかし、菊池飛行場ミュージアムで義烈空挺隊に関する資料の常設展示をしている菊池飛行場の戦争遺産を未来に伝える会が菩薩像の移設・保存に向けて動きます。

募金を呼びかけると、全国の120人から165万円が寄せられ移設が決まりました。ハツさんの孫・堤裕倫さんは反響の大きさに驚きました。



■堤ハツさんの孫・堤裕倫さん
「小さい頃から普通にここに普賢菩薩があって、日常の光景と思ってたんですけど、非常に重たい歴史があったと改めて感じてます」

浄圓寺に移設された菩薩像の建碑式は、義烈空挺隊の出撃からちょうど80年となる5月24日に行われました。

■堤ハツさんの孫・堤裕倫さん
「祖母、堤ハツは終戦後普賢菩薩像を建て、朝夕供養を欠かさずしていました」「ばあちゃん、皆さんのおかげで素晴らしいものができました。ずっと供養していただけるようになりました安心してください」

式には隊員3人の遺族が出席し、出撃前の隊員たちにも銭湯という安らぎの場があったことを確かめました。

■遺族(叔父が戦死)吉野キヨミさん
「いいひと時をここで 過ごすことができた。それが良かったです。厳しい訓練と聞いていたものですから、ひと時の安らぎだったかなと思ってうれしくなります」


■遺族(孫世代)宮本恵理さん
「気軽に来ていただいて、こういう部隊があったんだとそれを知るきっかけとなる場所ができたことは、すごくありがたいなと思いました」

■堤ハツさんの孫・堤裕倫さん
「菩薩像を通して、そういう時代、そういう歴史があって、それが今の日本につながっているということも含めて広く知っていただければ。ハツもですね、菩薩を建てて供養して来た甲斐があると思っています」


(05/30 19:49 熊本県民テレビ)

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