ご昭和ください
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昭和の 階段

2025年12月14日

番組スタートから14年8か月、今日の放送で、放送開始700回を迎えました!

…と、今、これを書いていて、その事実に気づいた次第でありまして、放送では何も触れず、お祝いせず・・・。

さて、そんな700回目の放送は「昭和の階段」で30分。今日も、ご昭和リスナーの皆様から多くのネタが寄せられました。

 

≪昭和41年生まれのリスナーさん≫

私は昭和52年、小学5年の時に新築した二階建ての家に引っ越しました。私の部屋は2階でした。

転校した小学校で出来た新しい友達が家に遊びに来てくれた時のこと。楽しく遊んで帰るときに、その友達が階段から落ちてしまったのです。その数日後、別の友達も落ちてしまいました。幸い2人とも怪我などはなく無事でしたが、3度目があってはならないと、母はすぐに階段の一段一段に滑り止めをつけました。

 

≪昭和39年生まれのリスナーさん≫

「昭和の階段」で思い出すのは「階段あぶち」という遊びです。

小学校のとき流行っていた仮面ライダーカードの

古いカードを使って遊びます。

階段の最上段の端に相手のカードを置き、自分のカードを相手のカードギリギリに叩きつけ、風圧で相手のカードをひっくり返し、下の階段で裏返っていたら、相手のカードが貰える遊びです。

ちなみに、名古屋ではメンコのことをショウヤといいます。“あぶち”はショウヤを ひっくり返す技です

 

≪昭和35年生まれのリスナーさん≫

階段、憧れでした。小学4年まで住んでいた借家も、その後に父が建てた家も平屋でしたから。

僕が社会人になった後に増築したんですが、そこには2階があり嬉しかったです。そこの階段はかなり急で、這いつくばるように昇る、そんな感じでした。一番憧れたのは、屋根裏部屋から紐が下がっていて、その紐を引くと隠れていた階段が現れる、と言うのでした。

 

≪昭和30年生まれのリスナーさん≫

私が中学生の頃まで、私の実家は、わらぶき屋根の家で二階はなかったので階段はありませんでしたが、同じ敷地内にあった長屋と呼ばれていた倉庫が二階建てで階段がありました。

その階段は、使用する時だけ設置し使用しない時には天井の高さに引き上げられていました。上げ下げは電動ではなく、ロープを使って手動で行っていました。この階段は今でもありますが、昨年、兄が倉庫の二階を整理するために、階段を使用するということで補強しました。

 

≪昭和33年生まれのリスナーさん≫

昭和の階段で思い出したのは、引越しです。

当時は4階までの建物にはエレベーターはないのが当たり前でした。引越しもトラックは業者に頼んでいるものの、アパートの下から部屋までの運搬は呼び集められた友人、知人が手伝っていました。アパートの階段の壁はコンクリートでザラザラしており、嫁入り道具のタンスに傷がつかないよう気を遣ったものです。

私も就職した初出勤の日に、スーツ姿のまま先輩の引越しを手伝わされました。「これからご指導よろしくお願いします。」と挨拶したところ、「ワシは転出じゃけー、あんまし縁がないのう。ハハハ」と言われてがっかりした思い出があります。

 

さて、次週12/21も「昭和の階段」で行きましょう。らせん階段へのあこがれ、階段下の物置、雨の日の部活は階段を走るetc昭和の頃の階段にまつわる思い出・エピソードをお待ちしています!

 

そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日に更新しています!

https://www.youtube.com/watch?v=72Lop5DdNVQ

テーマは「昭和の歌を歌った」

山根さん、サンタルチアを「鼻から血いやぁ〜」と歌って怒られたって。


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