

3月21日(日) 午後3時00分〜3時55分
「毎日映画コンクール」には、毎年日本映画の発展に貢献した女優に贈られる「田中絹代賞」があります。田中絹代賞は、1985年創設され、初代の吉永小百合を始め、日本を代表する女優が受賞しています。女優の名を冠した賞は、世界中の映画コンクールでも珍しいものです。
女優の代表としていまも慕われる田中絹代(1909〜1977)は、山口県下関出身、14歳でデビュー以来およそ250本の映画に出演、67歳でなくなるまで、第一線の女優でした。しかし、40歳を迎えてからの半生は壮絶なものでした。
「愛染かつら」など日本を代表する映画女優だった田中絹代は、40歳のとき、日米親善芸術使節としてハワイ、ハリウッドを訪問しますが、帰国パーティで、アメリカ仕込みの大胆なメイクと衣装で、「アメリカかぶれ」と酷評されます。帰国後の作品は不評で、「田中絹代は女優として駄目になった」と書かれます。「老醜」という言葉さえ聞かれました。
女優は「桜の花のようなもの、短いつかの間を、美しく咲いて、きれいに散って行くもの」と言われた時代、絹代は人生へ挑戦するように生き、その後も、第一線で女優として輝きます。
14歳から映画の世界に入った絹代が、自分の年齢と向き合い、そして家族を支えて懸命に生きて行く姿は、多くの女性の共感を得られるものです。
最期まで帰りたいといっていた故郷・下関、生誕100年を迎えた今年、その地元の放送局として、現代に通じる田中絹代の女性としての歩みを、映画黄金時代の華やかさとともに、すべての女性に贈ります。