2025年04月27日
昭和46年生まれ53才、高橋裕です。
今週は「昭和の録音」で30分。
小学校1年生の時のこと。担任の先生がちょっとしたトランクくらいの大きさの物を教壇に置きました。生まれて初めて見るテープレコーダーでした。家にはやっとテレビがやって来た頃です。録音機なんて家にはありません。先生はみんなの声を一人ずつ録音して聞かせてくれました。自分の声を自分で聴く!それはそれは衝撃的な体験でした。
私が四歳の頃のカセットテープが残っています。
父や兄に言われるがまま、アグネスチャンや、桜田淳子さん、森進一さんや、前川清さんやピンから兄弟の歌を物真似しながら歌っているものです。時々、父と祖母が聞いているので、恥ずかしくて仕方ないです。
昭和55年頃、高校に行っている昼の時間にFMのラジオ番組を録音するためのタイマーを購入しました。まず、コンセントを抜いた状態でラジカセの録音ボタンを押しておきます。そして、コンセントをタイマーに差し込みます。そのタイマーは文字盤の円周部分に穴が空いていて、ピンを差し込んだ位置の時間でオンオフができました。15分刻みでしか設定できませんでしたが、エアチェックの頼もしい助っ人でした。
昭和38年、小学4年生の時、父親が何を思ったか突然オープンリールのテープレコーダーを買って来ました。父と2人で何か録音したいと辺りを探したところ、目の前で母親がイビキをかいて昼寝していたので早速顔の前にマイクを置き録音しました。起きた母親にイビキを聴かせると「私じゃない」と泣き出し、それから3日間は食事は作ってくれたものの、一言もしゃべってくれませんでした。
僕が幼い頃、昭和50年代前半はまだ家庭用ビデオカメラが普及する前でした。その代わり、家族の団欒などをカセットテープで録音して記録する事が流行っていたような気がします。
そして、近所の友だちが集まると、各家庭の自慢の録音を聴いて楽しむというのがありました。我が家のカセットテープに記録されていたのは、当時の人気アニメ「あらいぐまラスカル」のオープニング曲「ロックリバーへ」を僕が熱唱しているものでした。とても恥ずかしいと思いながらも、何故か笑い、笑われながら何度も聞いていました。
別の友だちの家の自慢の録音には、お父さんの大きなイビキというのもありました。こちらもみんなで笑いながら何度も聴いて楽しんだ思い出があります。
私の一番古い記憶は小学1年生。「月賦」で買ったテープレコーダーで、長嶋茂雄選手の引退セレモニーを泣きながら録音する父の背中です。周りの雑音が入らないように、レコーダーとブラウン管テレビを線のようなものでつないでいました。私は5年生になるまで、そのテープレコーダーで歌番組を録音しました。
さて、次週5/4も「昭和の録音」で行きましょう。
ペットの鳴き声を録音した、ラジオパーソナリティのように喋って録音してみたetc次週も昭和の頃の録音にまつわる思い出・メッセージをお待ちしております。
そして、ご昭和くださいのYouTube動画、毎週水曜日更新です!
https://www.youtube.com/watch?v=Fb3aUQzwSMs
テーマは「昭和の背番号」
阪神巨人背番号クイズもお楽しみに!