1979年11月4日、大学3年のワシはその日
京都百万遍交差点にほど近い、親しい京大生N氏の彼女である
Hさんの下宿にいた。もちろんN氏も一緒である。
大阪球場での日本シリーズ広島対近鉄第7戦を
テレビで観るためである。
N氏は強烈な近鉄ファン。
なのになぜN氏の彼女の下宿でテレビを観たのかというと、
食いもん飲みもんがあって、ワシのようにかわいい年下の学生は
優しくしてもらえるのと、
となりに密かに憬れていたMさんが住んでいたからである。
Mさんは北海道出身で黒いロングヘアーで
ハイライ●を実にカッコ良く吸う神秘的な女性であった。
時々おじゃましていたが、残念ながらそれ以上何もなかった。
ていうか手が出せないオーラがあった。
そんなことはどうでもいいのだが、とにかく日本シリーズ第7戦、
この試合に勝てば双方とも初の日本一に輝くという大事な一戦。
広島山根、近鉄鈴木の先発で始まった試合、
中盤までのシーソーゲームも4:3で、
広島は7回からは守護神江夏豊を早くもマウンドに送った。
そして球史に残るあの9回裏。近鉄先頭の羽田がヒットで出塁、
代走藤瀬。続くアーノルドの打席。藤瀬が盗塁、
広島捕手水沼の送球はわずかにそれて藤瀬は3塁に到達。
N先輩は「おらおら、これでわからんど!」とテンションが上がる。
アーノルド四球。代走吹石。女優吹石一恵の父親である。
つづく平野の打席。吹石盗塁。三塁ランナーのホームインを警戒して
捕手水沼は送球せず。ノーアウト2,3塁。
一打サヨナラの大ピンチである。N先輩のボルテージが上がる。
「ぐわっはっはっは。これで決まりじゃ。」
一塁があいたことで、平野を敬遠して満塁策。
しかしノーアウト満塁である。
つづくバッター佐々木恭介。のちの近鉄監督である。
観るほうにも力が入る。佐々木恭介空振り三振でようやくワンアウト。
まだN先輩はややおとなしくなるも逆転勝利を信じている。
そして続くバッター石渡。一球目ストライクのあとの2球目。
3塁走者藤瀬がスタート、石渡バントの構え、スクイズだ。
江夏は咄嗟にボールをウエストさせ捕手水沼は立ち上がり
これを捕球、本塁に突っ込んできた藤瀬にタッチアウト。
これでピンチの目を摘んだ広島バッテリー、
その後石渡を三振に取り、スリーアウト試合終了。
広島は初の日本一に輝くのである。
狂喜乱舞する渡辺、肩を落とすN先輩。
その後人格者N先輩のおごりでお祝いの中華丼
(味噌汁付かないがスープ&餃子付)を食いに行ったのである。
さてこれがいわゆる「江夏の21球」と渡辺の当日午後の顛末である。
21球とは9回裏に江夏氏が投げた全球数だ。
ただ私は思っていた。この9回裏の戦いを
江夏氏の投球だけで語っていいものか。ずっと思い続けていた。
江夏氏のマウンドでの心理や作戦を中心に語られたことは
書籍やテレビなどで何度も語られてきた。
反面江夏の球を受け続けた捕手水沼四郎氏の側から見たドラマは
一度も語られることはなかった。
あの個性派投手の手綱を操ったのは
ほかならぬ捕手の水沼四郎氏である。
マスク越しの21球が語られてしかるべきではないか。
ノーサインでどんな変化球も独自の観察眼と
捕球力でキャッチしてきた不世出の捕手。
実は水沼氏とは2001年山口きらら博において一度お会いしたが、
ゆっくり訊けなかった。ところが今年水沼氏は
「江夏の21球をリードした男」という本を出された。
縁は大事にせんといけん。
さる筋から「水沼さんが来られるから一緒に飯でも食いませんか?」
とお誘いを頂いた。お断りするわけがなかろう。
というわけで周南市内の焼き鳥屋さんにおいて、
今度はゆっくり、その当時のお話をはじめ、
今のカープにいたるまでいろんな話を聞かせた下さった。
実に温厚で紳士で、見るからに誠実そのもののお人柄である。
初の日本一に王手をかけるも一打サヨナラ負けになる可能性もある
日本シリーズ最終戦で、これまた球界一個性的なストッパーを
リードする、その極限の緊張感を味わった人である。
あれから30年がたっているとはいえ一言一言に説得力がある。
わしら、あの場にいた十数人全員が野球少年に戻っていた。
あの場を作っていただいた世話人様この場を借りて、
本当にありがとうございました。
そしてもちろん、わしら素人の質問に嫌な顔一つされず
お話いただいた水沼四郎さん、本当にありがとうござしました。
写真撮らせていただいたのですが、ワシだらしない顔ですいません。
