2008年6月 アーカイブ

おおぎちゃん

2008年6月18日 カテゴリ:ワシでよければ

恒例土朝の企画「博多座ツアー」に行ってきた。
今回は六月大歌舞伎である。
坂田藤十郎、尾上菊五郎の二人の人間国宝が出る。
安芸の宮島と奈良の大仏が同時に見られるみたいなもの。
これはすごい。
お馴染みのバスツアーである。
ぐだぐだしゃべって福岡まで。
ホントに皆さん聞いてくれているのだろうか?
ワシなら「うるさい。寝せてくれ。」と言うぞ、絶対。
みんなイイ人ばかりである。
何をしゃべったか今まったく憶えてないくらい、
適当にしかしゃべってない。そんなことでいいのだろうか。
 
今回の目玉は坂田藤十郎の喜寿記念「娘道成寺」を
ほぼ1時間踊りきるというもの。
女装したオジイサンの踊りなどといっては絶対いけない。
人間国宝の芸術である。
一挙手一投足、指の先、つま先まで一分の隙もない。
素晴らしいの一語。
 
ところで今回も随行してくれたのが、
土朝の画伯、永遠の女子大生ことNディレクターである。
いまだに自分のマンションのことを「下宿」と言い、
社食を「学食」と言うてしまう人である。
一幕目が終わった幕間にワシのところに走ってきて
小さな紙切れを見せる。
「あおきちゃん T-○」ってしゃっしゃっとなぐり書きで書いてある。
この人は結構な有名女子大出身なのに、やたら平仮名が多い。
「着物で来てますよ。この一番後ろです!」と小声で話す。
「あおき?青木?青木京子?」と思って後ろ見ても青木の姿はない。
買い物かなんかか。「わかった。後で話しとく。」と答える。
ならばトイレにでも行って帰って声かけるか。
用足しをしてコーヒーを飲み席に戻る時、その席を見る。
青木はおらん。着物姿を見られたくなくて姿を消しているのか。
水臭いぞ青木。アロー号の時代からの仲じゃないか。
共に昼の看板を背負ったワシらじゃないか?
わかった。照れくさいのだろう。わかる。わかるよお。
着物姿を見られでもしたらワシが背びれ尾ひれつけて話す
とでも思っているじゃろう。そんなことするかいや。心配すな。
誰にも言いはせんて。まあええ。帰りにでも話そう。
そういって第2幕第3幕を見る。
さあ終わった。帰ろう。青木は、と。あれ?はあ帰っとる。
ほんまに水臭いのう。
まあええ。いろいろ都合があるんじゃろう。
 
そう思って茶話会に足を運ぶ。参加者といろいろ感想を述べ合う。
その時だ。数人の方が「扇さんがおられたので挨拶しました」とか
「扇先生がお着物で座っておられたのよ」とか
「さすが扇千景さん、素晴らしいお着物でしたよ」と
口々に話されている。
へえ扇千景さん、ご主人の藤十郎さんや息子さんの翫雀さんと
一緒に来られているのだな。さすがは梨園の妻だ。
毎日大変なのだろうなあ、おおぎさん、おおぎちかげさん…。
あれ?おおぎさん、あおきちゃん?
「Nディレクターさっきのメモ見せて」
そこに書かれていたのは確かに「あおき」ではなくて「おおぎ」、
「ちゃん」ではなく「ちかげ」だった。しゃらしゃらっと書かれていたけど
間違いなく「おおぎちかげ」とひらかなで書いてあった。
確かに字的に似てる。
 
「はははははは、青木ちゃんが着物で1人で
来るわけないじゃないですかあ、はははは」と笑われても…。
皆さん、薄暗いところでは漢字を使うようにしましょう。

にこにこ京都旅行記 しょの5

2008年6月11日 カテゴリ:ワシでよければ

京都の大学なんぞを出てると、人は必ずといっていいほど
「ええねえ。金閣寺やら清水寺やらいつでも行けてええねえ。
何べんも行ったじゃろう?」と聞いてくるし、そう思い込んでいる。
これ
「山口の人は毎日フグを食っている」
「愛媛の民家にはオレンジジュースの蛇口がある」
と同等の都市伝説に近い。
現実は、三千院にせよ金閣寺にせよ清水にせよ、
その場所までは行ったことはあるが、内部に入ったことがない。
銀閣、三十三間堂、大覚寺、仁和寺…。全然行ったことがない。
なぜなら貧乏学生には拝観料がもったいないからである。
金閣寺も大学に近かったので横を通るたびに、
なんとかあの建物が見えないものか目を凝らしたが、
よくしたもので外からでは絶対見えんようになっている。
さすが将軍足利義満。500年後のバカ学生が
タダで見ないように周りをしっかり竹やぶや雑木で囲っていたのだ。
その先見の明に脱帽である。
 
帰りの京都駅は非常に混雑していた。
博多行き下りのぞみ自由席はいっぱいでホームも行列になっている。
しかしここからがワシの一味違うところじゃ。
ワシは広島行きのぞみを狙う。
博多行きの一番早いヤツより混雑の度合いが少ない。
迷わず広島行きのぞみの行列最前列に立つ。
博多行きと比べ明らかに人が少ない。
万一京都で座れなくとも新大阪で多くの客が降りるのでその瞬間座れる。
博多行きと比べて新大阪で座れる可能性が大きいわけじゃ。
自由席各車乗降口に立つ人も少ない。
ところがなぜかワシの乗ろうとしている1号車だけ人が多い。団体だ。
外国人?…中国語、しかもこのメリハリは…広東語だ。
添乗員は英語で案内している。香港からの団体らしい。
飛び交う広東語。ワシの周りはあかたかもジャッキーチェンの映画。
七三べっとり分けで小太りのおっさんが中川家礼二に見えてくる。
なぜか全員がハイテンション。あの会話に入りたかった。
言葉は勉強しておくべきだね。
残念ながらサモ・ハン一行は新大阪までの10分間の旅。再見。
彼らのせいかどうかはわからんが麺類が食いたくなり、
岡山で下車し立ち食いソバをタンメンの代わりにすする。
その後はもちろん、少しでも長く旅情を愉しみたくて
こだまに乗り換えてゆっくり帰宅したのでした。
どうもオチもなくすみませなんだ。

にこにこ京都旅行記 しょの4

2008年6月 9日 カテゴリ:ワシでよければ

というわけでワシは京都の大学に行ったので、
こうして京都を第二のふるさとと思えるのである。
参加した皆もそう思っている。
京都のみならず大学4年間はそれほどディープな時間である。
 
しょーがない。紹介しよう。
ワシらが過ごした京都市右京区嵯峨中通町の下宿跡地だ。
右手マンションの場所に2階建て下宿屋があった。
小さい看板の当たりの位置にワシの部屋があった。
ま、いろんなことがあった。
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1階に2部屋、2階に8部屋あった。
学生が半数だったが、
部屋の中に衣装以外家財道具が何もなかった映画村の俳優のタマゴ、
堅気のお前らに迷惑がかかったらあかんと言って出て行った
「や」のつく仕事の方、ワシとしかコミュニケーションとらない
役者志望の韓国人、大家さんが経営するお茶漬け屋の
エロっぽい従業員が住んでいた。

俳優の卵君はいつも殺虫剤の臭いのする
赤やブルーのブレザーに白いスラックス(横山やすしか)で
撮影所に通っていた。
何度か斬られ役で時代劇に出ていたのを見た。
その後は知らない。
 
「や」のつく仕事の方は、我々には優しかった。
よくカレーを一緒に作って食べたが材料費は全部出してくれた。
しかも一番高い肉。
4畳半の部屋の中にはでかいダブルベッドが占領していて、
時々どっかのお店のおねいさんらしき人を連れてきていた。
わしは隣だったので……困った。

役者志望の韓国人君は友人がワシだけだったらしく
しょっちゅう飯に誘われて将来の夢を聞かされた。
ワシが4年の時、無名塾に合格したといって出て行った。
京都駅まで見送ったのが最後で、テレビでも見たことはない。

1階に住んでいた従業員のおばちゃん
(今考えると30過ぎくらいだったと思う)は、
時折下着姿でもう1人の1階の住人のところに
タバコの火借りに来てたらしい。
借りられた奴は、本当にただ火を借りに来ただけだと思っていたそうだ。
もちろんオッサンになった今では、
そりゃすこし違ったのでは、という話になっている。
 
その付近の三条通り。車折(くるまざき)周辺。殺風景やのー。
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東山のオープンカフェ。おっさんには全然似合わんスペース。
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京都造形芸術大学のすぐ近く。
店内を若いアーティストに開放しているらしく、
女子大生風の女の子が窓ガラスにアートを施していた。
トイレに立ったワシが「造形芸術大の学生さん?」って話しかけると
「違います」と何故かはっきり否定された。 

おしゃれな京都の休日。
エリザベスリードの追憶。なんのこっちゃ。

にこにこ京都旅行記 しょの3

2008年6月 6日 カテゴリ:ワシでよければ

大原をなめてはいけない。恋に破れた女が1人たたずむ…
というにはあまりにも厳しい自然が横たわる。
京都中心部からだと東山通りを北上し、岩倉の手前、
国際会議場に行く交差点よりだいぶ手前を東に折れ、
比叡から連なる山間部を目指す。その山懐に抱かれた盆地である。
比叡山系から湧き出る水と、肥沃な土壌が
京野菜を育てるに適しているのだろう。
ゆえに京漬物の生まれ故郷は多くが八瀬大原なのである。
 
そんな大原は標高が高い。300くらいあるのだろうか。
友人は「500はあるでえ」と嘯いていたが、
ワシはそんなにもないと思っている。
宿の主にでも確かめておけばよかったのお。
したがって夕刻急激に気温が下がる。寒い。
ほんまに初夏5月の最終日とは思えない。
 
大原には旅館ホテルの類はない。すべて民宿。
わしらの宿もまごうことなき民宿。どっからどう見ても民宿。
ただし露天風呂がある。しかも二つも。さらに温泉である。
宿についたのが午後6時。食事は鍋と地鶏すき焼き。
とにかく先に食べよう。温まろうということになった。なぜか。
驚くほど寒かったからだ。マジ寒すぎる。
なにせ夏の装いである。とにかく備え付けの丹前の下に
着替え用のシャツを着込んで鍋をつつく。ふ~温まるう~。
程よく汗がにじみ寒さからは解放される。
しかし民宿ゆえに大広間がない。
10畳くらいの部屋に分散して食事をとる。その日は満室。
親戚一同などのグループがやたら多い。
なので子供は走り回る、父ちゃんは怒鳴る、
ばあちゃんはトイレに行くと迷子になる、家族が大声で探す、
もう阿鼻叫喚の中での夕食。まあええ。これが民宿のええ所。
 
食事の後は風呂だ。内風呂はヒノキ、露天は樽風と岩風呂だ。
う~んしみるねえ。時間が遅かったので他客はいない。貸切状態。
50歳の全裸軍団はやりたい放題だ。
もぐる、走る、浮く、●●●で○○○。バカ丸出し。
しかしようやく芯から温まり、部屋に帰ってからは暖房を入れた。
 
しかし帰ってきた部屋の中の様子が何か違う。
何?床の上に黒いものが。しかも動いている。
蟻?でかいぞ。蟻だ。1.5cmはあるぞ。あれここにも、ここにも。
「噛まれると痛いど」誰もが思った。その時である。
縁側の障子を開けた奴の叫び声が響く。
「おおおおおお~いいいい。何じゃあこりゃああああ!!!」
楳図かずお風にいえば「ひいいいいいいっ!」か。
そこには無数の巨大蟻が集団で壁から床、窓、
そこらじゅうを徘徊しているではないか。
空き缶で圧迫しようとしても面で圧力かからんからダメ。
足で踏んで退治しようとしたら軸足のほうに蟻が上がってくる。
これはいかん。民宿の主を呼んだ。
「ははは、蟻ですねえ。」見りゃわかろうが。しかも笑うんじゃねえ。
「どっから入ってくるんすかね」こっちが訊きたいわ。
「どうしましょうか?」じゃけえ退治してくれよ。
殺虫スプレー持ってるじゃん。
「ここ入ってくるはずないのになあ…」って現に入って来とろうが。
その間にも、「こっちもじゃ」「あそこにもおる」「天井にも」「足についとる」
更に布団が収められた押入れにも出入りしている。
「ここには入ってないですよ」と主。
その扉を開けた。「うぎゃああああああ」って言いそうになるくらいの
(実際には大笑いしていただけだが)
無数の蟻が扉の裏側に張り付いている。
さすがに形勢不利になった主は、その後1時間近くを掛けて
巨大蟻軍団を駆除し、侵入不能にして出て行った。
まあできるんなら先にしておいて欲しかった気もするが。
 
朝目覚めた1人は深夜自分の腕を這う
一匹の巨大蟻がいたことを黙っていたそうである。
田舎育ちのワシでさえ体験したことのない
家の中での巨大蟻軍団の恐怖。
つづく。

にこにこ京都旅行記 しょの2

2008年6月 5日 カテゴリ:ワシでよければ

京都駅はでかい。でか過ぎる。
大手有名デパートが入居しているとはいえ、
あんなにデカくする必要があったのだろうか?
かつては新幹線でホームに入る時にも京都タワーが見えた。
よくよく見れば本願寺も見えた。
京都に来たっていう実感が湧く瞬間だった。
いまは完全に視界を塞がれた。もう京都駅らしい個性は完全にない。
建物内部はまるで未来都市のようだ。
あそこまで複雑にエスカレーターを通す必要があったのだろうか?
正直、古都京都にふさわしいかどうか、
なんだかなあ。と前から思っている。
 
この時期の京都は修学旅行がやたら多い。
駅のコンコースは白シャツ黒ズボンにうっすら髭の
思春期真っ只中の少年や
ホッペ真っ赤のセーラー服に占領されそうである。
修学旅行の一団って必ず駅のコンコースで
全員集合の時は体育座りで整列させられている。
その集団の周りを先生がゆっくりぐるぐる回って見ているという形だ。
普段ヤンチャな奴も都会に出てきているという緊張感からか
フシギとおとなしい。男の先生は一応スラックスとジャケットなのに
靴は白いスニーカーだ。いざという時に全力疾走するためか。
いやはや大変である。
 
団体を見ていると日程の最初や出発日か、中盤以降かはすぐわかる。
初日は元気いっぱいでハイテンションだが、
日程が進んでくるにつれて毎日の大騒ぎで疲れているからだ。
最後の2日間くらいは極度の睡眠不足で、顔に生気がない。
中には既に寝ているやつがおる。
 
ただ思うのは、コンビニや駅、公共の場で
地べたに平気で座る「若人」が増えていて大人から顰蹙を買うが、
それってルーツはこの修学旅行の集団体育座りに
原因の一端があるのではないかと考えてしまった。
あんまし関係ないか。
 
さて初夏の京都は暑い。在学中安普請の下宿ゆえ
天井をはぐると瓦が見えるような造りだったので、
この時期は室内も30度を越えていた。日没まで西日が入ってきた。
広島市民球場1塁側内野スタンドみたいじゃ。あれもおかしい。
敵の方に西日入れてやりゃいいのに。
まあそんなこたあどうでもいい。
そんな初夏の京都を知るワシは夏の装いで駅に降り立った。
予想通り暑かったし、ワシらが記憶するいつもの京都だった。
しかしその日の宿は大原である。
今からおこるであろう悲劇を誰も知る由もなかった。

にこにこ京都旅行記 しょの1

2008年6月 4日 カテゴリ:ワシでよければ

久々に京都に行ってきた。
大学時代の同級生のうちワシの下宿の住人と、
下宿に入り浸っていた連中が年1~2回集合するのである。
ワシは遠いし土曜は土朝なので毎回出席ちゅうわけにはいかん。
なので今回は久々なのである。
今回のメンツはというと、
現在は京都府北部の某私立名門高校の校長、
某超一流大企業の部長、中学教員、某大手金融会社営業部長、
医療法人事務長、それに某地方民放雑用係のワシ。
これがかつての雀鬼、暴走族、バンドマンである。
  
さて~ワシは土曜日の土朝終了即新幹線の駅に向かい、
広島から広島始発ののぞみに乗った。自由席である。
自由席ならのぞみもこだまも同じ料金である。
こだまで広島に着いてすぐやって来る博多発ののぞみは
自由席も満席である。
ところが15分後出る広島始発はゆうゆう座れるのだ。
これを選ぶとこがワシと一般人の違いなのだ。
しかし普段なら新大阪までこだまで行く。
同じ金額払っているのにのぞみだと
広島から1時間ちょいくらいで着いちまう。もったいない。
こだまなら3時間くらい乗っていられる。
断然こだまをチョイスするじゃろ。
しかし今回は友人が昼に集合しているから先を急いだのである。
更に今回残念なのは広島までのこだまが
0系ではなく100系だったことだ。
あと半年もせぬうちに0系が全廃される。もったいない。
もしお金に糸目をつけなくていいなら、
庭にナロネ24と並べて置いておきたいくらいだ。
それでも2人掛けシートが2列づつ並ぶ室内は、
狭苦しい3人掛けがないぶん快適この上ない。
しかし広島からは狭苦しいのぞみでの
急ぐ旅を余儀なくされたのである。
 
広島で乗り込んですいた車内の中ほどに席を確保する。
ほどなくワシの前の席に、レコード資料室のノンちゃん
(知ってる人しか知らないか)似の若い女の子が座り、
そのまま背もたれを少しだけ倒し、
肘掛の当たりまで頭を傾けてソッコーお休みになっていた。
そこへ現れたのが、麦わら帽子に短めのジーパン、
さらにスニーカーソックスにメーカー不明のシューズ、
当然すね毛の一部丸出し、Tシャツはジーパンにイン、
三角ポーチにロング缶コーヒーと文庫本を持った40くらいの男性が、
他の席もがら空きにもかかわらず、
「ノンちゃん似」を見つけるやじっと3秒くらい凝視、
真横の3人掛け通路側に陣取った。
空いている隣ではなく通路を挟んだ最短距離に陣取るなんざ
下心ミエミエじゃねえか?
彼の視線は5秒に一度は「ノンちゃん」に行く。
缶コーヒーを一口飲んでは「ノンちゃん」、
文庫本を2行くらい読んでは「ノンちゃん」。
幸い「ノンちゃん」は熟睡の様子。
「Tシャツイン男」の動作は
確かにあまり褒められた行為ではないことは確か。
何もおこらないだろうけど、いったん何かあれば
ワシの出番であることは間違いない。心の準備だけはしておこう。
ほどなく「ノンちゃん」の横にも50前後の奥様風の女性が座り、
「Tシャツイン男」の妄想も終焉を迎えた。
そして今度はワシの隣に30代後半くらいのビジネスマンが座る。
この男、座るやいなや前の背もたれからテーブルをセットし
モバイル型のパソコンを立ち上げ、
間髪を入れずすばやいタッチで何かを打ち始めた。
もちろんブラインドタッチの両手タッチだ。
何を打っているのか興味が沸々と湧いてくるが、
液晶画面は斜めからは見えにくい。
君は秘密諜報部員か?それにもうそんなんしてたら
トイレに行く時「すみません」って言いにくいじゃん。
新幹線の中くらいゆっくり休めよと心の中で声を掛ける。
日本のビジネス最前線はかくも厳しいのか。
しかし「Tシャツイン男」も「猛烈ビジネスマン」も
老後は同じくらいの年金でひーこら言うて暮らすことになるのだなあ。
まさに諸行無常を感じたのぞみ車内のヒトコマであった。
そうこうしているうち車窓からは京都駅の古都に不釣合いな
巨大駅舎が目に入ってきた。つづく。