2015年3月 アーカイブ

バヌアツに支援を!!

2015年3月19日 カテゴリ:ブログ

今朝は、9時のニュースのあと、
巨大サイクロンに見舞われた南太平洋の国、
バヌアツについて、お伝えしました。

バヌアツで<ツアーガイド>をされている、
柳井市出身の土山裕誉さん、
奥様でフリーアナウンサーの相川梨絵さんには、
何度も「県人アワー」に出演して頂いています。
思い出して頂けたら・・・ありがたいです。

実は、バヌアツにサイクロン直撃の時、
土山さん一家は休暇中で、日本に帰っていたので、
家族3人全員無事だったのです。

今朝は、土山裕誉さんにお電話を繋ぎましたが、
千葉県にいらっしゃるとのことでした。
(今月末にはバヌアツに戻りたい・・・とも)

現地からの情報によると、
家が崩壊して、住む家がなくなった人が多いこと、
食料や水などが、大変不足していること、
医薬品が欲しい!という声が届いているそうです。

バヌアツが厳しい状況にあることは、
土山さんの、暗くて湿りがちの声からも
伝わってきました。
いつもは底抜けに明るくて声も弾んでいますから。

バヌアツでは、「ナタンゴラ」という木の葉を
乾燥させ、それを編んで、家の屋根を造っている
そうですが、その木も倒れてしまったので、
トタン屋根にして、家を失った人たちに
住む所を提供したい!と、土山さん。

一方、奥様の相川梨絵さんは、
バヌアツ共和国親善大使を務めていますので、
今日午後3時から、記者会見を開いて、
これからの支援活動について発表されるとのこと。

土山さんのお話では、
「国際機関 太平洋諸島センター」の支援も得て、
「日本バヌアツ親善協会」と協力して、
義援金を募ることになったそうです。

そして、
集めた義援金は、政府の援助では行き届かない、
個々人の援助に充てたいということです。

お金ではなく、バヌアツの人たちが必要としている
物に変えて、彼らに、直接、届けたい・・・と。
それがバヌアツのスタイルだから・・・と。

バヌアツの人たちが、再び、幸せに暮らせることを
心から祈って・・・私たちに、今、出来ることを!
番組からも、支援の気持ちをお届けしたい!!
と考えました。

ご協力を、どうぞよろしくお願いします。

★義援金の振込み口座は以下のとおりです★

千葉興業銀行(0135) 船橋支店(410) 普通口座 1163650

名義:ニホンバヌアツシンゼンキョウカイバヌアツサイガイギエンキンクチ
(日本バヌアツ親善協会バヌアツ災害義援金口)

※手数料は振り込む方ご自身の負担となりますがご了承ください。

尚、詳しくは、「国際機関 太平洋諸島センター」or
「日本バヌアツ親善協会」のHPをご覧下さい。

(池内記)

思い出の建物

2015年3月18日 カテゴリ:ブログ

ついに徳山駅ビルが壊されることになりました。

40代の竹重アナも、番組ディレクターも、40代・・・

高校時代、駅ビルの3階にあった「UCCコーヒーの店に
行くのがステータスだった!」と懐かしそうに話します。

好きな女の子と一緒に行き、ナポリタンを食べるのが、
あの頃はカッコいい!!と思っていたそうです。

勿論、高校生だから、食後にコーヒーを飲むなんて、
贅沢はできなかったけど・・・と、あの頃の事を
思い出しながら語る竹重アナは、表情がゆるみ
自然と、ニヤニヤ、笑顔になります。(^0^)


私も入社した頃、徳山駅ビルにはよく行っていました。
地下のお店で、野菜や果物を買っていましたし、
靴や衣料も駅ビルの店で!!そんな時代がありました。


番組で、昔はあったけど、今はなくなったよね・・・
という思い出の場所の話をしていると、
北九州市八幡の、RN「河童」さんから、
「門司にあった山城屋デパートはまだありますか?」
と、ご質問のメッセージを頂きました。

なんと、懐かしい!!ヽ(°▽、°)ノ

残念ながら、「山城屋」は2001年に閉店し、
6階建てのビルは、今は、1階はお店などが入り、
上はマンションになっているんですよ!!


私が子どもの頃は、デパートは山城屋だけでしたから、
贈り物をする時は、「山城屋」の包装紙がステータス!
になっていたような気がします。(*゚∀゚)=3


栄町商店街から山城屋デパートへの通りは
いつも賑やかで、子供心にも「街にお出かけする」
という気分を味わっていたものです。(^_-)-☆


今は、門司港レトロ地区の一角になっていますが、
約50年前の栄えていた門司港の街の雰囲気を
知っている私としては、今は、帰省するたびに、
淋しくなっているなぁ・・・と感じることが多いです。


そうそう、下関市長府の「下関マリンホテル」も
「水族館」も「スケート場」もなくなって・・・
昔の思い出がつまった「ところ」がなくなるのは、
時代の流れとは言え淋しいですね!(`_ゝ´)
下関市のリスナーさんからのメッセージもありました。


あなたにとって、思い出の建物は何ですか?
(池内記)

悲しみを乗り越えて

2015年3月12日 カテゴリ:ブログ

東日本大震災から、昨日で4年を迎えました。

リスナーさんからは、温もりのある言葉、
優しいメッセージを、たくさん頂きました。
東北の人たちに寄り沿う気持ち、
大切にしたいですね!!(*^0^*)


政府主催の追悼式で、
遺族代表として挨拶された菅原彩加さんは、
この4年は、あっという間であり、長かったとも。


追悼の言葉は、悲しみも、辛さも、苦しさも、
全部伝わってきて、心を打たれました。
正直、私は号泣しました!!

今朝の番組冒頭で、そのことを語るうちに、
また思い出して泣きそうになり、ぐっと抑えました。


<母のことを助けたいけど・・・
私も流されて死んでしまう。
「行かないで」という母に、
「ありがとう、大好きだよ」と伝え・・・>

彩加さんは、必死で、近くの小学校へ
泳いで辿りつき、一夜を明かした・・・
一人ぼっちで・・・寂しかったでしょう。
心細かったことでしょう。


彩加さんは、石巻市大川地区で津波に襲われて、
大切な家族を亡くされたのですね。

お母さん、おばあちゃん、曾おばあちゃん、
3人を津波が奪ってしまったなんて・・・
15歳の少女の孤独感を想像すると、
胸がしめつけられそうです。


あの濁流が、家々を壊し、町を呑み込みながら、
川を遡上していくシーンは、私も忘れられません。
今でも、あの映像を見るたびに、胸がバクバクします。


でも、彩加さんは、この春から、神奈川県の大学に
進み、「防災学」を学ぶと聞いて、ほっとしています。


挨拶の最後は、
<失ったものは、もう戻ってくることはありません。
悲しみが消えることもないと思います。
しかし、前向きに頑張って生きていくことが、
亡くなった家族への恩返しだと思い、
生きていきたい・・・>しっかりとした言葉でした。


素晴らしいですね!!
ずっと泣きっぱなしだった私も、
最後は笑顔になり、
彩加さんにエールを贈りたくなりました。


どうぞ、楽しい大学生活を送って下さい!!
天国でお母さんが見守っていますよ。きっと!
(池内記)

似顔絵(〃ω〃)

2015年3月 5日 カテゴリ:ブログ

下関市の、RN<テンパイタバコ>さんは、
いつも、Faxでメッセージを下さるのですが、
毎回、タイムリーなイラストが添えられています。

目のつけどころが素晴らしい!(`^ω^)=3
と、感心することが多いのですが・・・
今日は、似顔絵を描いた色紙を頂きました。
150305.jpg


「おはようKRY」のパーソナリティー、
それぞれの特徴を、うまく掴んでいることに、
もう・・・びっ~~~くり!!(。・´_`・。)エ


マトリョーシカ風に描かれた私・池内なんて
あまりにそっくりで、笑っちゃいました。ヽ(*^∇^*)ノ

鋭い観察力をお持ちですよね!!


竹重君が手に持っているのは、ラーメンでしょうか?
恭子さんは、吟醸酒を飲んで上機嫌ですね!
高らかに笑っている声が聞こえてきそう・・・です。
清家さんも、ヘアースタイルからファッションまで、
あるあるあるある・・・こういう印象ですよね?!

お見事です!!(・∀・)イイ
ありがとうございました。(^_-)-☆

ところで、
暮らしのファイル(木)は「防災」がテーマ、
3.11東日本大震災から、まもなく4年、
今月は、被災地からの声をお伝えしていきます。


今朝は、宮城県亘理町の青田和宏さん(61)
穏やかな口調の中にも、苦しい、辛い現状が
伝わってくるお話でした。


青田さんが住んでいた荒浜地区は、
津波で壊滅的な被害を受け、家族は無事でしたが、
自宅兼牛乳店の店舗は、大破しました。
それでも、同じ場所に店を再建し牛乳配達を再開、
青田さんは、頑張っていらっしゃいます。


最初は「仕事が出来るだけで嬉しかった」と、
思っていたけど・・・早朝3時から午後1時まで
配達をする毎日、遠くは、福島県境に近い
名取市まで行く、重労働の日々です。


それでも、4月からは、奥様と二人三脚!!
教師を定年退職して・・・と嬉しそうでした。
少しだけ希望の光が見えてきたかもしれませんと。

震災でばらばらになった家族が、4年経って、
ようやく一緒に過ごせるようになるのですね。


「4年は長かった!」
「本当の復興は、普通の暮らしが出来るようになること」
「まだ、東日本大震災は終わっていません!」
青田さんの言葉は、重く、私の心に刻まれました。
(池内記)

第2ボタン物語

2015年3月 4日 カテゴリ:ブログ

今日も色々なメッセージを頂き
ありがとうございました。m(__)m


そんな中から、RN「おぺぇ~ら」さん、
私たちスタッフも、高校の卒業式を思い出し、
世代の違いはあれど、18歳にタイムスリップ!
悲喜こもごもありました。(*^o^*)(^◇^;)

おぺぇ~らさん、
「第2ボタンを下さい!」と言われたら・・・?
ドキドキしながら、卒業式に出席されていたのですね。


体育祭では2年連続「ハチマキを下さい」と言われたのに、
肝心の最後のメインイベント、卒業式では「第2ボタン」を
奪ってくれる女子は一人もいなかった・・・とのこと。


切ないのは、「おぺぇ~ら」さん、
しばらく校門を、さりげなくウロウロしたり、
忘れ物を取りに帰るフリをして、「第2ボタンを下さい」
と、女子が言って来るのを待っていた・・・ということ。


帰宅して、ボタンを奪われなかった寂しい気持ちと、
ちょっとばかり、自意識過剰になった自分に赤面!
ダルマさんみたいに、赤い顔になった・・・(`^ω^)=3
でも、それもまた、青春の良い思い出・・・とあり、
セピア色の学舎のシーンが目に浮かびました。


そこで、スタッフに聞いてみました!!
「第2ボタンを下さい」と言われた?


竹重アナは、「当時付き合っていた子にあげたよ!」
と、さらっと答えてくれました。(^ω^)


ディレクター:全然、何も奪われなかった。(=´▽`)ゞ
ミキサー:僕も、そんなこと全く関係なかった。(´;ω;`)

寂しそうに見えたのは、私の考えすぎでしょうか?


そして、私とほぼ同世代のオペレーターさんは、
「そもそも、私たちが高校の頃は、第2ボタンを下さい!
という慣習がなかったですよね」・・・そうそう!
私たちは意見が一致しました。\(^o^)/


放送終了後に、竹重アナから教えてもらったこと。

「何故、第2ボタンが奪われるのか」?
「それは、心臓に一番近いからだと思いますよ」

ハートを射止めるってことでしょうか?
ピュアな恋心、愛おしいですね!!(^_-)-☆


更に、
学ランの金ボタンは、糸で留めていない。
つけ外しが簡単に出来るようになっている。
裏ボタンがあり、引っ掛けるようになっている。
見栄っ張りの男子は、初めから「第2ボタン」を
外して、卒業式に出席していた・・・などなど、
女子には分からない、微妙な男心が想像できる
エピソードも教えてもらいました。..._〆(゚▽゚*)


ついでに、職場の後輩たちにも聞いてみると・・・

最近は、ジャケットの制服も増えているから、
「第2ボタン」とは限らず、袖口のボタンや、
「名札!」と言う女子も増えているんですって。


第2ボタン物語から、それぞれの青春時代を
思い出す、良いきっかけを作って頂きました。
(池内記)